なぜ「そうじ」をすると人生が変わるのか? 第9話
ランチに出掛けるとき、社長の田中修に、一緒に行かないかと声をかけられた。何かものを言いたそうである。喫茶店でカレーライスを食べながら、圭介は言った。
「社長…、もう、そうじのことはいいでしょ」
「圭介、ごめん、ごめん。すごくよくやってくれてるよ。まさか全員でそうじをするようになるなんてな。キレイすぎて怖いぐらいだよ…」
「でも…、また何か言いたそうな顔してますよ」
社長は、苦笑いをして、コップの氷水をグイッと飲み干した。
「実はなぁ、ちょっとこの2ヵ月くらい、おかしな現象が起きているんだ」
「え? 何か工事にクレームでも」
「いやいや、そういうことじゃなくてな。まず、コピー用紙を使う量がガクンと減ったんだよ。庶務の裕子クンが気づいてな。毎月コンスタントに1箱注文していた量が、急に半分以下になったと言うんだ」
「え…、偶然じゃないですかねぇ」
「うん、それだけじゃないんだ。毎月買っていたゴミ袋の枚数がな、100枚から30枚に、なんと3分の1になったそうなんだ」
圭介は言われてみて「ハッ」とした。このことは、毎日のそうじで、なんとなく気づいていたことだった。そうじを始めた頃に比べて、明らかに「社内から出るゴミの量」が減っていた。
社長は言った。
「圭介。これは間違いなくな、お前さんがそうじを始めたことと関係があるに違いないとにらんでいるんだ…」
「……」
「そうじはみんなでやっているけど、やり方はそれぞれバラバラだ。窓を一生懸命に拭く人。隅っこを徹底的にキレイにする人。同じ場所を何回も掃く人。でも、みんなそれぞれが、どうしたら早くキレイになるか考えながらそうじしているはずなんだ。誰でも時間をムダにしたくはないからな。その中で、打ち合わせなんてしないからわからないけど、一人ひとりが何か変った気がするんだよ」
「どこがですか?」
「うまくは言えんのだが…、1つだけ『ゴミが出なくなったという事実』をもとにして言うと、そうじをしているうちにゴミそのものを出さない工夫をするようになったんじゃないかな。なぜかというと、ゴミを出すと、結局、後で自分がそうじをしなくちゃいけない。なら、最初からゴミを出さないように工夫すればいい。例えば、封筒を開封した際の切れ端。ホチキスの針。そういった細かいゴミは、それこそ、今までは床に落としたこともあったかもしれない。でも、そうじを意識していると、ちゃんとゴミ箱に入れる。コピーもだ。ムダを出さないように、無意識にミスコピーをしないようにと考えるようになったんじゃないかなって」
なるほど。そう考えれば納得がいく。最初は「ただ、そうじをしていただけ」だったが、何かが変わりはじめているのだ。
翌朝、老人を訪ねるため、圭介は30分早く家を出た。
暦では冬に入っていたが、このところ「小春日和」が続いていた。その日も朝から、突き抜けるほどの眩しい青空が広がっていた。
老人はなかなか現れなかった。待つ間に、足元に捨てられた空缶が気になった。圭介は無造作に拾った。もう赤面することはなかった。たまたまカバンの中に入っていたコンビニのレジ袋を取り出して、1つ2つと拾いながら歩き始めた。そこへ後ろから声がした。
「おい、青年。ワシの仕事を取っちゃ困るよ、ワハハハッ」
振り返ると老人が微笑んでいた。
「お久しぶりです」
「おお、久しぶり。元気じゃったかな」
「はい…」
圭介は、この2ヵ月で感じたことを老人に報告した。
老人は珍しく、
「ふむ…、ベンチに掛けよう」
と促し、ポツリ、ポツリと、言葉を選びながら語り始めた。
「いいかな、青年。本当はこんなことは教えることじゃないんじゃ。拾った者だけがわかることなんじゃ。拾った者だけがご褒美をもらえるとでもいうのかな。しかし特別じゃ。もう、キミには会えんかもしれんからな…」
「え? 会えないって」
「まぁ、聞け。お前さんはかなり答に近づいてきておる」
「はい」
「ワシは昔な、ホテルのレストランでウエイターをやっておったことがあった」
老人は遠くの空を仰ぎ見ながら話し始めた。
「ある夏の暑い日のことじゃった。1人の紳士が汗を拭き拭き入ってきた。それを見たワシはすかさず、エアコンの風が当たる席に案内した。えらく喜んでくれてな。チップまでくれたんじゃ、それもかなり多く」
「はい…」
圭介は、一瞬で、老人の昔話に引き込まれた。
「それから数日後にまた、その紳士はやってきた。前のことが頭にあって、迷わずエアコンの前の席へと案内をしたんじゃ。するとな、『バカモン!』と怒られた。なぜじゃと思うかな」
「……」
「その日も確かに暑い日じゃったが、紳士は汗1つかいておらなんだ。なぜなら、ホテルの玄関までハイヤーで乗りつけたからじゃった。叱りつけられた後で、その紳士はまだ若造だったワシに教えてくれた……。『仕事とは気づき』じゃとな。『気づきをたくさんするためには、そうじをしなさい』と言われたのじゃ。それでワシはそうじを始めた。早く出勤して開店前のレストランを嘗めるようにそうじした」
「はい…」
「そのうち、何だかわからんがな…、今まで見えなかったものが見えてくるようになったんじゃ。お前さんの好きな理屈で言うとこういうことじゃ。そうじというのは、汚い所をキレイにするということじゃ。まず、汚い所を探すことが習慣になる。ウエイターの仕事をしていても、四六時中、フロアに何かゴミが落ちていないか気遣うようになったんだな。そのおかげで、お客様の忘れ物や落し物を何度見つけたことか。お客様が店を出る寸前に声をかけて渡すと、非常に感謝された。そして、もちろん、さっきのような過ちはせんようになった。お客様が何を欲しておられるか、何を望んでおられるか、声をかけられる前に『考えて気づく』というクセが身についたんじゃ。もちろん、何年も、何年もかかったな、これには…」
老人が若かりし頃、「ホテルマン」であったらしいことを初めて知った。そして、その言葉には重みがあった。老人の言わんとしていることが、圭介には心の奥までストンと飲み込めた気がした。
「そうじをすると売上が上がるのか」。もちろん、すぐに売上が上がるわけではない。
そうじをする。そうじをすると、汚い所に気づくようになる。その「気づき」は、日頃の仕事の気づきにも生かされる。すると、お客様が自分のファンになってくれる。仕事が増える。これが会社全体で行われれば、会社の売上が上がることになる。「風が吹けば桶屋が儲かる」ということわざと同じである。
老人は、ここまでしゃべると時計をチラリと見て、圭介の後ろに視線を移した。知らぬ間に、グレーのスーツの背の高い男性が立っていた。その男が言った。
「会長、お時間でございます。少し急がれませんと」
「うむ、わかっとる。ちょっと余計なことを喋り過ぎたかな…」
ポカンとしている圭介を尻目に、老人は「元気でな」と一言残して、男性とともに通りへと歩いていった。そして、ふと気がついたように10メートルほど歩いたところで老人が振り返った。
「おぉ、そうだ。1つ言い忘れておった。忠告しておくがな、実は、そういうわけで、そうじをすると売上が上がるんじゃよ。だがな、問題はそこにある。『売上が上がるから拾おうとか、お金が手に入るから拾おう』と思ったとたん、売上が上がらなくなる。これがまた不思議でな。このカラクリは、ワシもいまだにわからん。ワッハハハ」
そして再び、老人は、遠ざかっていった。一瞬、呆然としたところから我に返った、圭介は慌てて2人を追いかけた。
木立の向こうに停まっていた「黒塗りのベンツ」の後部座席に、会長と呼ばれた老人が乗り込むのが見えた。まもなく車は動き出し、ビルの谷間へと消えていった。
ごみ拾い活動
内容:タバコ空箱
場所:東側エントランス前通路
内容:空き缶
場所:ごみ置き場横
内容:雑誌
場所:店舗前通路
内容:ペットボトル
場所:せせらぎ公園
内容:タバコ空箱
場所:駐輪場横植え込み
内容:パン袋
場所:西側道路
内容:タバコ空箱
場所:エントランス前植え込み
内容:ビニール袋
場所:店舗前ベンチ
内容:菓子袋
場所:駐輪場
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